特別座談会「地震国と免震」「免震エンジニアの育成」

2013年8月20日 於:スターツCAM株式会社 会議室

  • 本座談会は2013年8月20日に行われ、スターツCAM発行の冊子「高床免震と東日本大震災」に収録されたものです。
    東日本大震災から5年になるのに合わせ、ウェブサイトに再録します。
写真左から 纐纈一起/和田 章/可児長英/中西 力/酒井和成/関戸博高

話し手

和田 章
東京工業大学 名誉教授
損傷制御設計法の国内での提唱者として免震・制振を含む「耐震構造」「耐風構造」「大スパン超高層」「数値計算力学」をテーマに、免震構造の実用化に関する研究、地震を受ける鋼構造高層建築物の損傷制御に関する研究等を行っている。
纐纈一起
東京大学地震研究所 教授
地震の震源過程や地殻・プレート構造の解析等と通して、災害に結びつく強い揺れの再現と予測を目指した研究を行っている。最近の長周期地震動の研究や、東北地方太平洋沖地震の震源の研究、関東大震災時の強震動の研究は一連のNHKスペシャルで取り上げられた。文部科学省地震調査委員会強震動評価部会長、財務省地震保険制度プロジェクトチーム委員等の活動を通して、研究成果が社会に的確に活かされることを目指している。
可児長英
一般社団法人日本免震構造協会 専務理事
免震構造の健全な普及と免震・制振技術の進展のため、関連する各種技術基準書・解説書、各種標準類の整備の活動を行っている。

聞き手

関戸博高
スターツコーポレーション株式会社 代表取締役副会長
2013年スターツグループの建設会社スターツCAM(株)社長を経て現職。グループ各社の経営にたずさわる中、「高床免震」の開発等、長年免震建築の普及とリスク・マネジメントの組織連携や高度化を追求している。
酒井和成
スターツCAM株式会社 スターツ免制震構造研究所 所長
大学卒業後、組織建築設計事務所に勤務し、病院・事務所・レトロフィットなど、多くの免震建物の設計に携わる。その後、信託銀行勤務を経て、スターツCAMに入社。免震の普及による安心・安全な街づくりを目指している。
中西 力
スターツCAM株式会社 スターツ免制震構造研究所 設計統轄
大学在学中に免震と出会い衝撃を受ける。建設会社設計部にて多用途の免震建物の設計や、新しい免震技術「塔頂免震」の開発・設計に携わる。(和田先生監修)。スターツCAM入社後、免震の普及と開発・設計に邁進している。
  • 肩書は全て2013年8月当時のものです。

はじめに

酒井
本日のテーマは「地震国と免震」と「建築業界の人材育成」です。「免震」を核に、幅広い話題についてお話いただきたいと思っております。
関戸
2006(平成18)年から和田先生・纐纈先生にご参加いただいております「リスクマネジメント研究会」で、免震建物への地震計設置のアドバイスをいただき、東日本大震災での観測記録の分析結果を学会で発表させていただいたり、「建築技術2013年1~3月号」に記事として掲載させていただきました。
今回はさらに、一般のお客様や、まだまだ免震について知らない方々にも、地震と建築構造物、とりわけ免震の建物について、どう考えていけばよいかということを中心に、お話いただければと思います。
内容としては免震技術をいかに社会のために普及していくか、安心で安全な建物を造っていくかということ、もうひとつは東日本大震災からの教訓をどう役立てていくかという、技術者としての心構えのようなことですね。これらを踏まえながら、座談会を進めていただきたいと思います。

東日本大震災を踏まえて

東日本大震災で感じたこと

酒井
東日本大震災の時には、みなさんどうされていましたか?
纐纈
実は私は日本にいなかったのです。前の月に、ニュージーランドで大きな被害をもたらした地震があって、その調査で、ニュージーランドのクライストチャーチにいました。1日目の調査を終えて、レンタカーを運転して帰る途中だったのですが、盛んに携帯電話が鳴る。でも、運転しているから出られなくて……結局、何も知らずにホテルでテレビを観たら、津波の映像が ニュージーランドでも流れていて、「これはたいへんなことになった」と思いました。
和田
私は、新宿2丁目の出版社にいました。ものすごい揺れでしたから、「あー、地震で死ぬってこういうことか」と。7階建ての古いマンションの3階ぐらいにいたのですが、骨組みの変形がわかるぐらい揺れました。これだけ揺れたら周りのビルは倒れているかと思ったら、外に出ても何も倒れていない。「日本の構造は丈夫だなぁ」と感心しました。
その後、自分自身が帰宅困難者になってしまい、テレビもなかったので、津波のことを知ったのは深夜。その出版社の社長の自宅に泊めてもらって、初めて気がつきました。親が1948(昭和23)年に東京に引っ越してきて建てた杉並の安普請の家に弟が住んでいるのですが、ここも倒れていないかと電話をしたら、「何ともない」という答え。「あれだけ揺れて、何で壊れないのだろう?」と不思議でしたね。
可児
私は、自分のオフィスにいました。6階建ての2階で、ふたつの棟でできているのですが、エキスパンションを設けてあって、大きな揺れが3回ぐらいあったと思うのですが、揺れ始めたら、自分たちのいるビルがもうひとつのビルと衝突する。この音がなんかもう、「死ぬかもしれない」というような音なのですね。だから、恐怖感はありました。
関戸
弊社の近くのビルも同じです。隣のビルとぶつかって、上からタイルが落ちてきました。ガッツン、ガッツン、ぶつかる。いつかは来ると思っていたのが、ついに来てしまった、たいへんなことが起こってしまったという衝撃ですね。「企業人としては、今後どのように仕事を継続していくのか」というようなことを、真っ先に考えました。
可児
ビルの横にもぶつかって、コンクリートが削れて、エキスパンションのところから粉になって噴き出してくるのです。それが恐怖感を増して、「これは普通の地震じゃないな」というのが第一印象でした。とにかくインフォメーションと思って、テレビをつけているうちに2回目が来たので、「ついに崩れるかな」と思いましたね。ビルは6階建てで、6階にいる人は、悲鳴を上げていて、それがまた恐怖感を増すのですよ。それから3回目がまた来たものだから、「これは、半端な地震じゃない」と思いました。
酒井
ずいぶん揺れ方がゆっくりだったので、専門家からすれば、「これは遠いな」という感じはありましたか?
可児
それは思いました。それにしても、「ここでこれだけ揺れるなら、大きさがすごいだろうな」という印象でした。揺れは12~13分続いていましたから、それにも驚きました。私の経験した中では、1944(昭和19)年の昭和東南海地震に次ぐ衝撃です。みなさんはまだ生まれてないでしょうね。私は当時国民学校の1年生で、とにかく立っていられなくて、庭の松の木にしがみついていました。それが、これまでに経験したいちばん大きな地震だったのですが、今回はそれとほぼ同じように感じました。
可児
戦時中だったので、すべてシークレットで、昭和東南海地震の当局発表はありませんでした。
関戸
データも残っていないのですか?
可児
いや、データはあると思います。だけど、私たちは学校で「地震の話をしちゃいけない」って言われました。もう、日本が戦争で負けそうだったですからね……。

巨大地震と予知

纐纈
1948(昭和23)年の福井地震まで、日本は活動期だったのです。それからしばらくは、地震が少なかった。それが1995(平成7)年の阪神・淡路大震災以降、再び活動期に入ったと言われています。
関戸
東日本大震災では、言葉が悪いですが、あれだけの揺れでしたから、もっと壊れてもおかしくない状況だったと思いますが、そうはならなかったという印象です。
纐纈
地震動的には、それほど強くはありませんでした。講演でいつも言うのですが、2003(平成15)年十勝沖地震というマグニチュード8.3の地震がありまして、9.0と比べると大分小さいですが、それとほぼ同じぐらいの揺れでした。地震はマグニチュードが大きくなって規模が大きくなっても、揺れ自体は頭打ちする性質があります。結果として、気象庁の地震計も頭打ちしてしまうのですね。それが、津波警報が正しく出なかった理由です。ただ、地震学的にはそうなのですが、建築学的にはまた別のいろいろな理由があるのではないかと思います。
酒井
みなさん、今回の地震で非常に恐怖を感じたということですが、阪神・淡路大震災から16年で同じクラス以上の地震が起こる可能性については、震災前から感じておられたのでしょうか?
纐纈
実際には予想していなかったわけです。南海トラフの方は過去に起こった例があって、それは江戸時代の宝永の地震ですが、マグニチュード8.6とかそれ以上と言われています。今回と同じような超巨大地震と言っていいものですが、それが東北地方太平洋沖の日本海溝沿いで起こるということは予測されていませんでした。
なぜかというと、過去に例がなかったからです。今回の地震は1000年に1回とか、あるいは、もうちょっと短くて600年に1回とか言われていますが、要するに江戸時代より前というのは、史料がほとんど残っていません。戦国時代あたりでほとんどの古文書が焼失してしまい、まともな資料が残っていない。平安時代に貞観の地震という超巨大地震があったらしいことは、津波堆積物の分析から定着しつつあったのですが、そうした地震が、2011(平成23)年3月11日に起こるとは、誰も予測していませんでした。
東日本大震災で「このぐらいの規模の地震が10年程度の幅はあるにしろ起こる」ということを確信を持っては言えなくなった 纐纈一起

「正しく恐れよ」

建築基準法に影響を与えた大地震
酒井
なるほど。震災後もなかなか予測は難しいという国の発表がありましたが、予測ができないということであれば、私たちはこの先どのように地震対策に取り組んでいけばいいのでしょうか?
纐纈
いきなり難しい質問ですね。それは正直、私たち専門家もよくわかりません。要するに科学的に決められないということですね。「このぐらいの規模の地震が、10年程度の幅はあるにしろ起こる」ということを、確信を持っては言えないということが、今回わかったわけです。そういう状況の中で、みなさんにどうしていただいたらいいのかは、私たちも模索していますし、それを受け止めていただく側も、いろいろ模索されている状況じゃないかと思います。
関戸
先生は以前、「正しく恐れよ」と言われていましたが、まさにそういうことですね。「起こり得ることは起こる」ということで、大きさはいろいろだけれども、とにかく地震は起こる、ということをまず前提に、私たちも生活設計なり、人生設計も含めて考えなさいということですね。講演では、「どこでも震度7の地震は起こり得る。だからそれなりに、しっかりとした建物を建てなさい」ということだったと思います。
纐纈
まさにそうです。陸地の地震に関しては、基本的には活断層で起こるということは理論的に確立されています。ただ、その活断層がどこにあるか、ということがどのぐらいわかっているかを問われると、非常にあやふやな状態です。今、政府が活断層として認定して予測などに採用しているものは約100件あります。それは、地表に活断層が動いた痕がちゃんと見えていて、そこを掘ってみて、大体何年ぐらい前に地震が起こったか、ということがよくわかっているものです。
でも、実際にはその100倍ぐらい隠れてるものがあるだろうと、私自身は思っています。さらに、地表に地面の変形として見えていても、実際に前回いつ起こったのかがわからなければ、再来周期がわからないので、それは今後の地震の予測モデルとしては使えません。そうなると、結局、地震動の予測モデルに組み入れられないものが、多分10倍ぐらいあり、他に地表に表れていないのもたくさんあると。
関戸
最近起こった2004(平成16)年の新潟県中越地震も、2008(平成20)年の岩手・宮城内陸地震も、起こる前まで痕跡がはっきりとは出ていなかったそうですね。
纐纈
結局、政府が出している予測と、実際に起こった結果が違うというのは、そういう隠れた活断層がいっぱいあるからなのです。ただ、それらが日本全国に隠れているとすれば、マグニチュード7程度の地震なら、日本中どこでも直下で起こると思っていただくしかない。平野の直下でマグニチュード7の地震が起これば、直上では震度7になりますから、どこでも震度7は最悪想定として覚悟していただく必要があるということになります。
和田
先生が言われたように、600年とか千数百年間隔で起こるとしても、「5年先までに絶対ありますよ」とか、「50年先までに、絶対ありますよ」などと言うのは、多分難しいと思います。
関戸
意味がないということですね。
和田
だから、当分来ないからとりあえず弱く造っておいて、そろそろ来そうだから強く造って、なんてやっていたらダメなわけです。震度7といってもいろいろありますが、「これぐらいは考えておいてくださいよ」と素朴に言っていただいたら、それに耐えられるように造るしかないということです。東京という都市自身は、1603年からすでに400年以上過ぎています。だから、建物を建てて壊すまでの数十年間に来なくても、同じ敷地にまた同じものを造り換えるなら、いつかは来るのだから全部を強くしておいた方がいい。
関戸
地震予測という問題の立て方そのものに、意味がないということでしょうか。
和田
そうではなく、「どうして地震が起こるか」とか、「今の、実は100倍ぐらい活断層があるかもしれないですよ」とか、リアルな情報を地震学者からエンジニアが聞いて、「あ、そうなのか」と気づいてもらえる方が価値があると思いますね。
東京湾北部地震の震度分布図(中央防災会議による)
中西
私も、纐纈先生の「震度6強、7クラスの地震は、日本中どこでも起こる。震度6強と震度7の地震の揺れの違いはあまりなく、日本中どこにいても、対策・備えを忘れないようにしなければならない」という講演会での話を伺って、エンジニアとしてすごく響き、お客様にも説明しています。先ほどの活断層の話も、非常に勉強になりました。
纐纈
でも、震度7にも耐えるように設計するのは、かなりたいへんなことではないでしょうか。

地震の揺れと地盤

関戸
今の耐震基準でいけば、何とか持ちこたえられます。免震だったら今のところは全然問題ないです。ちょっと余談になりますが、私の家は行徳で、利根川沿いに震源があると、やたらと揺れを感じる。けれど、違うところが震源だと、近くても揺れない。その地下構造みたいなものは解析されているのでしょうか?
纐纈
今の利根川は、徳川家康がもともと江戸川あたりに流れ出ていたのを、銚子の方につけ替えたものです。ですから、昔の利根川流域は地盤がよくない。関東大震災の時も、飛び地みたいに震度7が春日部や草加あたりにあるのは、その影響なのです。つまり、揺れやすい道に沿って、大きな揺れも伝わりやすいということはあると思います。
関戸
テレビで東京は震度1とか出ても、我が家は震度3ぐらいの感じを受けます。けれども、神奈川とかもう少し西の方で起こった時には、東京で震度3とか、神奈川で震度3でも、行徳ではほとんど動かないこともあります。そういう違いもあって、今後、「地震が起こった時の危険度マップ」のようなものはあるのでしょうか?
纐纈
結局、地震が起こる場所というのはなかなか予測が難しいので、なるべくいい地盤のところに建てることが重要ですが、だからといって地盤が悪いから建物を建ててはいけないということではない。その地盤なりの建て方をすればいいことで、それがまさに、「正しく恐れる」ということだと思います。茨城県南部とか千葉県北西部というのは地震の巣で、東京で感じる有感地震のほとんどがこのあたりです。このあたりは、フィリピン海プレートと太平洋プレートが衝突しているところなのです。
関戸
直下型の地震の場合、揺れている時間は短くて、阪神・淡路大震災でも20秒ぐらいですね。
纐纈
そうです。それはどうしてかというと、地震の規模に比例して断層面は大きくなっていくからです。例えば、秒速2キロぐらいで断層の割れというのは伝わっていくのですが、500キロあれば500÷2で250秒。だから、最低でも5分ぐらいは揺れが続きます。それプラス、東京だとしたら、関東平野が表面波という波を作る影響で、合計10分以上になります。
関戸
関東平野のなかで波が行ったり来たりすると、直下型でも行ったり来たりになってしまう。
纐纈
1923(大正12)年の関東大震災の場合は海溝型ですが、同時に直下型でもありました。例えば、神奈川県ではまさに直下で起こっているので、鎌倉や小田原では、阪神・淡路大震災のように短いけれど、すごく大きな揺れになりました。それがちょっと離れた東京あたりになると、直上の影響よりは、平野で揺れが長時間になったり、増幅されたりするという影響が大きくなります。東京大学で取れた記録が残っていますが、かなり長時間の揺れになっています。
和田
昔から人が住んでいる、縄文式とか弥生式土器が出るような場所は、大体地盤がいいところなのですか?
纐纈
そうですね。江戸時代でも、人が住んでいるところは割合地盤がいいですね。川のそばでも自然堤防みたいなところに住んでいたりして……。昔から人が住んでいるところは、基本的には地盤はいいようです。
関戸
吉原のあったあたりは埋め立て地で、江戸から言うとはずれの町で、埋め立てて作った地域なので、関東大震災ではずいぶん被害が大きかったようですね。
纐纈
“よし”ですから、葦が生えているようなところだったのです。
和田
この前、東北の方へ行って、高台の移転先の木を切り取って、「さあ」と思ったら、縄文時代の遺跡が出土して発掘作業になってしまった。そもそも高台を集落に選んだ、昔の人は賢かったのですね。結果として、移転がいつになるか、暗礁に乗り上げてしまったわけです。
関戸
纐纈先生にお聞きしたいのですが、地震動によって木造が倒れたり、そうではなかったり……建物が壊れやすい地震動と、そうでない地震動があるのでしょうか? 今回の東日本大震災では、仙台の建物は割と壊れてなかったなという感じがあって、石巻の方にも行きましたが、そこでも意外に壊れていませんでしたね。
纐纈
ご質問の主旨で言えば、地震の規模が大きくなるほど、マグニチュードが大きくなるほど、本体から出てくる揺れは長周期になります。そういう影響があるのと、もうひとつは非常にプリミティブですけれど、要するにかなり沖合の遠い場所で地震が起こったということで、その距離のために揺れ自体があまり大きくならなかったということが関係していると思います。
関戸
木造が壊れやすい地震動とそうではない地震動、鉄筋コンクリート造はけっこう壊れたけれど、木造は意外に大丈夫だった、そんなことってありますか?
和田
木造も、古いのは壊れてないわけじゃない。ただ、雪国の木造住宅 は、雪が積もっていなければ、全体が軽くなるので作用する地震力が小さくなり、相対的に雪のない地方の建物より地震に強いといえる。
纐纈
揺れの被害は、宮城より福島の方がひどかったという話も聞きますね。
和田
土蔵みたいなものが壊れたりしています。でも、ほとんどの人が津波に注目して いたので、建築の被害は注目されていません。
関戸
そうですね。仙台も過去に何度か地震があって、建物もよくなっているということかもしれませんね。

建物の耐震性と都市の地震リスク

日本人の国民性と防災感覚

酒井
地震のお話をいろいろ伺いましたが、建築の方に着目していくと、天井材や外壁材の落下などの報告が多くありました。今回の震災を教訓として、「建築面でわかったこと」と「まだまだこれから研究しなければいけないこと」をお話いただければと思います。
和田
揺れの方の問題の前に、津波のことに触れてもいいですか。つい1週間前も石巻や女川に行ってきたのですが、防潮堤といっても高潮対策程度。ああいう所に町を作って住んでいらっしゃる人も、建てた人も、少なくとも岩手県の人たちは津波が来ることは知っていたはずなのに、どうして同じことを繰り返したのかなと思っています。 自分も耐震工学をやってきたのに、あのあたりの温泉に行ったり、お魚を食べに行ったりして、「こんなところに住んでいたら危ないですよ」などとは一度も言ったことがない。恥ずかしいというか、「耐震工学をやっていました」などと言えないなと反省しています。東日本大震災のあと、「みんなで高台に移転してください」って言いましたが、南三陸などでは、やはり「ここに住むな」と言うのは無理だと思うぐらいの平野が広がっています。岩手県のあの一本松があるあたりもそうです。そうすると、どうしたらいいのだろうと悩ましいです。
関戸
そうですね。住んでいたところは、真っ平らですものね。その周りは山になっていますし。
和田
寺田寅彦さんの「津浪と人間」という本に、「高台に行けって言ったって、またみんな戻ってきてしまう」というくだりがありますが、あそこに住むなっていうのは難しいと思う。その後、何度か海外へ行く機会があって、シンガポールのいちばん南の、屋上にプールが載っているビルのあたりまで行くと、木造住宅はほとんどなくて、みんな高層ビルか高層マンション。中国のいろんな町へ行っても、一戸建てに住んでいる人はほとんどいなくて、津波の来そうなところは20~30階建てから50階建てぐらいの高層ビルにしています。それで、「漁業関係者も農家の人も高層ビルに住んだらいい」と、最近では書いているのです。
関戸
漁師さんや農家の人たちが、みんな高層ビルに住んでいたら、不思議な光景ですね。
和田
先週は、東北大学のドイツ哲学の先生のところに地盤工学の先生と訪ねたのですが、人間には誰でも「故郷」があって、そこにまた戻りたいという感情があるという話を聞きました。では「故郷」は前と同じ風景でなくてはならないのか、それとも、前と同じ場所であれば風景は変わってもいいかということを聞きました。それはもう新しい故郷でいいのではないかというお答えでした。だから、津波が来るところに木造の家をまた建てることにこだわらなくても、防潮堤もほどほどにして、高層ビルを建てたらいいのではないかと私は思うのです。この考えには、徐々に賛同者が増えています。
建築については、天井が落ちたとか、いろいろあります。エンジニアは誰でも紙の上やコンピュータの画面上に描いてモノを考えますよね。しかし実際の揺れは左右だけでなく、前後も上下もあるから三次元の動きです。紙の上で考えてモニター画面で議論していて、実際は三次元の揺れが同時に起こっているということを忘れていたということがありますね。おそらく、天井が落ちたりする原因はそのあたりにあると思います。
関戸
纐纈先生の共著で、「いくつかの地震は一緒に起こる可能性があるが、今回のように200キロの範囲で同時に起こるというところまでは想定されていなかった」とあったのです。
私たちも同じようなことがあります。先ほどの三次元で考えるとか、連結して捉えるとか、なかなか思考が通常の枠を超えられないジレンマがあります。
和田
纐纈先生もあの地震を受けて、いろいろとお考えになることはあったと思うのですが、哲学の先生が第一に言われたのは「日常的思考に於いて自明視されていた事柄を問い直す」ということ。だから、これまで当然と思っていたことも疑う必要があると言われています。第二は、「異質の他者の存在を受容し、理解し、共感しうる」こと。建築の構造を力学だけで話すのではなくて、纐纈先生のお話や哲学のお話を聞いて自分の考えを見直す。第三番目に「異質な声を聞き分けつつ他者に応答する」。そういうことが大事だと。これは構造設計でも同じで、紙に書いたルールを満たせば仕事が終わりというふうにやっていたらダメということです。
纐纈
やっぱり、普通の人間が経験してないことを想像するというのは、非常に難しいですよ。
関戸
おっしゃる通り。
纐纈
それが、今回の地震学者の教訓です。そして、おそらく今後も難しいのではないかと思います。ではどうしたらいいかですが、例えばインドネシアのスマトラ島で過去にマグニチュード9の地震が起こったことは専門家も研究し、自ら調査した人もいて、確かなことなのですが、「同じことが日本でも起こるかもしれない」という想像力を働かせることはなかなか難しいですね。
それはなぜかというと、過去に起こっていなかったからです。日本という国が経験していなかったことが、日本で起こるということを想像するのは非常に難しくて、専門家ほど逆に難しいのではないかという気がしています。
和田
なるほど……。
関戸
「島国根性」というか、日本人の特殊性が影響していませんか。アジアに行って見てくるといろいろな気づきがあるのですが、普段われわれは何となく「日本では起こらない」とか「日本は安全」と考えがちです。東南アジアだと水1杯飲むのにも神経を使い、なぜか向こうでは危険を感じるアンテナが立つのですが、日本へ戻れば安心という感じがどうしてもありますね。そういうことが、物事の思考回路にも入り込んできてしまって、スマトラ島であれだけの地震が起こったのに、日本は日本だという……そういった特殊性が、技術者にもあるのではないかと思ったりします。
和田
そうした死生観とか人生観についても哲学の先生に聞いてみたのですが、ヨーロッパのキリスト教信者は死んだら天国へ行くと信じていて、今はたまたま現世に物理的に存在しているというような考え方です。おそらく、日本人も別に仏教信者でなくても、「最後は天国に行ければいいな、だからふだんは悪いことをするのはやめよう」というような感覚でしょう。だから、「生きている間に地震が来て、死んでもまあ仕方がない」のような感じです。
一方、イギリスのロンドンは17世紀に大火があって、そのあと何十年もかかって燃えない街を作って、第二次世界大戦でドイツが攻めてきても街は燃えなかった。
関戸
そういう災害に対しての対応の仕方に、文化の違いは大きく影響していますね。
和田
神殿造りも、シンガポールとかスマトラとか、あのあたりの文化が伝わってきたという説があって……だから、ピロティの上が高床式の建物になっていたりします。もし流されたり、壊れたりしたら、また直せばいいという哲学が日本に来て、染みついているのではないかと、哲学の先生も言っています。
可児
このところ、木造がだんだん減ってきて鉄筋コンクリートがすごく多くなった。そうなると、簡単に造り直しましょうというわけにはいかないから、これからは少しずつ変わっていくような気がしますね。
関戸
先日もある外国人の女性と話していて、彼女が日本の古い映画を見て、「戦前からずっと、日本人は変わらないね」って言うのです。戦後生まれからすると、「これだけ変わってきているのに……」という思いの方が強いのですが、外から見ると変わっていないらしい。表面的には都市や建物もどんどん建て直されて、変化そのものが常態になってしまっている。だから、変わっているとわれわれは思っているのだけれど、変わっていない。文化的に自然の猛威に対するあきらめや、不徹底さがどうしてもそこにあるのかなと……。
和田
ヨーロッパやアメリカの近代建築を見て、「日本に近代建築を」ってやっていた建築家が、若い頃はジャズとかクラシックとか西洋音楽にかぶれていたけれど、60歳にもなると、「やっぱり演歌が、いちばん似合うな」などと平気で言う(笑)。なかなか、日本人に流れている気持ちは変わりにくいと思います。
構造設計でも同じで、紙に書いたルールを満たせば仕事が終わりというふうにやっていたらダメということです 和田 章

コミュニティの重要性と井戸

和田
「Social capital」(社会関係資本)っていう言葉があるのですが、私たちが子どもの頃は、家に鍵なんて締めませんでしたよね。子どもが遊んでいて、裏庭に垣根があって、木戸を抜けて、隣の家の中を通って、向こうの公園へ行く。そんなふうに、みんなで保つ社会の価値「Social capital」は、だんだん崩れて来つつあるのだけれども、日本はもともとそのレベルが高いそうです。だから、警察もあまりいらないし、泥棒もあまりいない。それが、地震が起こって、村が流されて、みんなバラバラに住むようになると、お互いに心配だから鍵を締めるようになる。「Social capital」が壊れてしまうのでたいへんだという話を聞き、「なるほど、その通りだ」と思いました。
纐纈
津波の被害を受けた地域のコミュニティの存続が非常に厳しい、という話はよく聞きますね。津波もその理由なのですが、地盤沈下が最大1メートルぐらいあって、ある部分は満潮時に水没してしまうようなところが、依然として残っています。そういう社会を、今後どのように存続させていくかというのは、非常に難しいと伺っています。
関戸
スターツの免震についてお話しすると、都心に近いエリアでは井戸やかまどを設置して、いつでもその井戸を、周りの人でも使えるようにしました。想いとすれば、本当にコミュニティというか井戸端会議ができるような場所になればいいなと。
安全というのは建物が安全というだけではなくて、まさにコミュニティが壊れることが生きていく上で障害になるわけですので、建築計画なり、都市計画なりの中で、そういったコミュニティをどう作っていくかというのは、非常に大事だと私は思っています。震災が起こった後、私もすぐ現地の避難所に行きました。体育館でみなさんたいへんな思いをしながら大人しく住まわれていました。しかし、実際に自分の村へ帰ったら、もう住めないようなところになっている。本当にコミュニティが壊れると、生きるか死ぬかというところまで行ってしまう。
纐纈
あの井戸は、とても評判がいいのではないですか? すごくローテクではあるけれど、防災とか復興という意味では、すごく象徴的です。
中西
井戸の数は今のところ、120カ所ですね。浦安でも免震と井戸がセットで設置されているところがあって、井戸が免震の目印になり、東日本大震災に連続する余震の時には、近所の人が集まってきたという話を聞きました。
関戸
浦安にあるホテルにも掘ってあったのですが、あの液状化でも井戸は壊れなかった。塩ビ管を使っていますけれど、地盤改良したせいか、あれだけ地域全体が側方流動しても大丈夫でした。3.11の時も、地域の方々に水を供給したり、このホテルが免震であったこともあり、ガス会社の復旧対策本部にもなりました。
可児
井戸のアイデアというのは、本当に素晴らしいと思います。井戸と、それにトイレがついていますよね。
関戸
そうです、井戸だけでなくマンホールトイレもついています。
コミュニティが壊れることが生きていく上で障害になる。建築計画、都市計画の中でそういったコミュニティをどう作っていくかが課題 関戸博高

免震関連の話題

地震を体感する起震車

和田
2005(平成17)年に福岡県西方沖地震があった時、その次の日に福岡市内の免震マンションを訪ねて歩いたのです。分譲の免震マンションなんですが、たまたま訪ねた若夫婦が地震のときには街中にいて、家に帰ったらたいへんだろうなと思って帰ったら、何ともなかった。それで初めて自分の住んでいるマンションが免震だということに気がついたって(笑)。福岡だと免震もそれ以外も同じ値段で売り買いされていることもあるようです。高層免震マンションでは、基礎を固定で作って、全部の柱や梁が太くなることに比べれば、免震の方が全体的に柱・梁を細くすることができて、免震装置の費用を含めても、建設費が安くなる場合もあるのではないですか?
中西
近い将来、地震が来ると思っているお客様の場合、一般的な構造(耐震構造)だと補修費がかかることを考えれば、保険的な意味でその増額分もご理解いただいています。
関戸
スターツの場合は賃貸のオフィスやホテル、アパートを造っていますから、免震だとそれに見合うだけの家賃が入るので、免震が本当に高いのか安いのかというと、それは一緒ですというのが結論です。投資額は上がるけれども、収入もその分増えるので、実質高いかどうかというのは、また別の目盛りになると思います。
和田
買った方も、住んでいらっしゃる20~30年の間に本当に大きい地震が来て、無被害で済めば、結果的によかったということになります。
関戸
和田先生と最初に出会った8~9年前でも、まだ「免震」という言葉が難し過ぎてお客様には通じなかったのです。だから、建築技術の言葉も、地震学の言葉も、わかり易い伝え方を工夫しないと、なかなかうまく伝わらないなぁ、というのは感じていました。それで起震車を使って、体感でその大地震の凄さを感じてもらうのがいちばん手っ取り早いと思って始めました。
可児
結果的に、それがいちばんよかった。スターツさんが最初に起震車を作られたので、私も体験させてもらいました。私たちはエンジニアなので、大体どのような揺れ方をするのかわかっているし、起震車にも何度も乗っているのですが、これほどリアルなものの経験はなかったですね。三次元で揺れるので、次にどのような揺れが来るのか想像がつかない。消防署にあるのは一次元で揺れるので、乗ってから構えられるのです。地震が来るぞっていうので、構えていれば全然問題がなくて、恐怖感が出てこない。ところがこれは、次にどう揺れるのかがわからないので、「怖い」と感じます。これなら一般市民の人にもわかってもらえるなと思いました。
免震というのは動力学の範疇ですので、これを言葉で一般の方に理解してもらうのは、土台無理な話。その点、あの起震車というのは身をもって体感できるので、いちばん説得力があると思います。
関戸
現在は、2台所有しています。分譲で建てる場合と、賃貸で建てる場合があって、どちらのお客様にも乗っていただかないといけないので、2台は必要というので作りました。運動会だとか、お祭りだとかにも貸し出して、体験してもらっています。ただ、以前から大学の構造研究室にも貸し出したいと思っているのですが、まだどこからも声がかかりません。
可児
それは知らないだけなので、先生方にお知らせすれば、きっと希望はありますよ。
関戸
東日本大震災の地震動も入れてあって、さっき言われたように、ガーンと来て、それが収まるかと思ったら、またガーンと来る。
纐纈
じゃあ、大学でもぜひ使わせていただきたいですね。
関戸
先生はニュージーランドへ行っていて、ご自身は体験していないとのことですからぜひ。東京大学へ持っていきますので研究所に1日置いて、学生の方々にも先生方にも乗っていただきたいですね。まずは体験することが、すごく大事だと思います。
中西
体感だけでなくて、振動台の模型も購入しまして、視覚的に、免震と耐震の違いがわかるようなものもございます。体感と視覚両方あることで、お客様もより理解しやすくなっています。

変位計でわかったこと

可児
スターツさんの免震建物のおそらく75%ぐらいに変位計がついていると思いますが、私はあれがすごいなと思いました。自分たちが建てた建物に変位計がついているという企業は少ないですよ。4件に3件はついているということですから、ある時代からは全部の建物につけたということですよね。
関戸
そうですね。
可児
それがたいへん役に立って、いいデータが取れたと思いますよ。さらに、地震計も設置されていましたよね。
関戸
これは当初、先生方に相談してつけたものです。
可児
変位計と地震計の両方がついているだけでなく、応答解析技術があるということで、実証が精度高くできるようになり、検証ができてよかったなと思っています。
関戸
こんなに早く役に立つとは、思っていませんでした。免震を始めた10数年前に、当時、免震の実績が少ないスターツが、建てていただいたお客様に、どのように保証するかということを一生懸命考えた結果が変位計でした。「想定外」のことがない限り、計算通りの動きをすることを保証するためには、記録を残さないといけないと……。建物については、少なくとも20年間保証していくということもやりました。免震技術の上ではまだ名もない企業でしたので、社会的な認知度を高めようということで、自分たちの手でデータを収集して、構造計算が間違ってないということを証明するために地震計もつけました。
可児
今回の東日本大震災の変位計の分析から、「いったい建物がどのようにどれだけ動いたのか」がわかるようになりました。マグニチュード5以上の余震が、震災後の1カ月足らずで、400回ぐらい起こっています。その際に免震装置がどこまで耐えられるかというのを気にしていましたが、それを数値でハッキリさせてくれたのが変位計なのです。建物がどれだけ動いたかを累積していくと、その建物が過去に地震を受けてから何回、何センチ動いたかという数値がトータルでわかります。累積変位が今回は20~30メートルぐらいだと思いますから、ダンパーやその装置が持っている累積の保有エネルギー量が例えば300メートルだとすると、10分の1使ったわけです。まだ残りはたくさんあるから、次の地震が来ても、大丈夫だというのがわかります。
というように、変位計の効用というのが改めて出てきた。これは、今おっしゃった保証にもなるけれど、実は建物がどれだけ仕事をしたかというのが、累積を見ればわかるわけです。建物に本来与えられた、60年間になすべき仕事というのがあるとすると、それを何パーセント果たしたかがわかるというのは素晴しいと思いました。
鉛プラグ入り積層ゴム装置
性能実験状況
関戸
なるほど、そういう見方をすると、確かにそうかもしれません。
可児
協会としては今、会員に向かって「変位計だけはつけてください」と言っています。鋼材ダンパーや鉛ダンパーならあとどのぐらい累積の能力があるというのが、全部計算できる。これはすごいと思いました。今、国が長周期長時間地震動というのを研究中ですが、発表された時に、たとえば20分と言われたら、その間に何サイクル建物が動き得るかを予測する。纐纈先生に聞かないとわかりませんが、余震が半年間ぐらいで、今回の東日本大震災の、例えば10倍とか100倍あったとすると、数百回では済まなくなります。その時の応答量をずっと蓄積していくと、この建物がどれだけ持つかというのがわかると思うのです。
和田
変位計は、新しいのに取り替えないと、わからなくなりませんか?
可児
そのままにしておくと、ステンレス板の真ん中が次第に削れてきます。すごく小さい微振動が多いので、だんだん面積が増えて凹んでくる。何回削れたか、深さから推し量れます。そうすると、2~3ミリの範囲に穴が開いたとしても、その累積変位は2ミリの数千倍しかありません。ところが、大きく移動したのが2回ぐらいあると、これだけでもう3メートル累積したというのがわかるわけです。例え取り替えられなくても、これを見ればどれだけ仕事をしたかというのはわかります。
中西
「建築技術」にも、スターツのデータを掲載しました。関東の建物のデータでしたので、累積変位は3メートルぐらいになりました(「建築技術」2013年2月号掲載「免震建物の観測記録と応答解析」図20:免震層の累積変化(免震建物A,免震建物C)を参照)。
和田
私も「建築技術」に掲載されていた、スターツの論文にあった図を見ていたのですが、いちばん大きいところが8センチというのは振幅の+-の絶対値? それとも……?
中西
片側の最大値です。
和田
要するに、全振幅で16センチということですね。0から見て8センチですね。免震構造の設計をしている時は、積層ゴムが柔らか目だったりすることも考慮して、片振幅40センチぐらいで考えて設計しています。この数値から考えると今回は、私たちが考えている設計用の地震動の4分の1ぐらいだったことになる。しかし、もしもこれらの免震ビルが片側振幅が40センチまで動くような地震動が東京に襲ってきたら、あの時の4倍ですから基礎固定の普通のビルはたいへんなことになります。
可児
昨年、E-ディフェンスという文部科学省の実験施設(兵庫県三木市)がありまして、そこで免震装置の破壊実験をやりました。免震装置は、いったいどこまで耐えられるのかという実験です。そのときの累積変位が300メートルぐらいでしたから、今回の地震を20~30メートルだったとすると、まだかなり耐えるという計算です。
和田
それは東京で、ですよね。
可児
東京の場合は2~3メートルだったので、まだ100倍ぐらいの能力があるということです。
和田
その実験は、休憩なしだったのですか?
可児
そうです、3日~4日間でした。人間が寝ている間は機械も止まっていますが、スイッチを入れるとまた動き出して、300メートルのところで終わった。ということは、他の装置も、累積変位量を調べておいた方がいいと思います。
和田
石巻の赤十字病院で、免震ダンパーをはずしてきて調べた結果、バージンでテストした全能力に対して、あの地震で受けた影響は、せいぜい10%だったと報告されています。
可児
まだ90パーセントの余力があるということです。それだけ、免震ダンパーの能力というのはすごいということ。最近、「想定外と言ってはいけない」といわれるようになった。私たちが知り得る最高の技術を目指さないと、現時点でわかっていることのもうちょっと先を見据えた設計というか……そういうのが、今後は大切だと思います。
中西
設計者としても余力がどれぐらいあるとか、そういう数字を把握しておくことは、大事なことだと思いますね。

エンジニアの現状・育成・教育

国の基準よりも自分の原理原則を持つ

可児
建築の設計者がすごいなと思うところは、最終的な姿を想定しているという点です。たとえば機械設計の分野の人って、最終形を想定していないですね。弾性範囲で勝負しているので、疲労破壊はありますが、壊れるということは想定にありません。ですから、建築のように最終の姿は見ていない。私たちは、柱とか梁が破壊に至るまで見て、「それでは、このあたりで設計しよう」としている。同じエンジニアの世界でも全然違うのです。
和田
土木分野でも、やや決められた規則を目指せばいいという思想が強いですね。ある小さな漁港に高さ2.5メートルほどの防潮堤があり、漁師のための出入り口に左右に動かせる鉄製の扉があり、津波が来ると扉を閉めることになっていた。外側から扉に水圧がかかると、入り口の左右の内側は三角のコンクリート壁で補強してあるので問題ないが、一度、海水が山側まで行って海水が引いて来ると、扉には外向きには何も抵抗の仕組みがなく、この扉は流されてしまった。
関戸
引き波に対する発想がない。
和田
水が出るためにはドアがない方がいいのかもしれませんが。もうひとつ建築基準でいくと、東京帝国大学の佐野利器先生が、1924(大正13)年の法律から当時、建物の自重の10%の水平力を用いて耐震設計しなさいという法律に、「0.1以上」と書いたのです。今でも、建築の法律の地震荷重の項には「以上」がついているのだけれど、土木の仕法書には地震力の設定の中に、どこにも「以上」の文字はありません。
もし土木で、ある橋の設計を担当した技術者が、規則に「以上」と書いてあるから、私は強めに作る。でも、隣の橋は規則の通りで作る技術者がいるということになり、会計検査が、「何でここだけ丈夫なのですか?」となってしまう。
関戸
なるほど。でも、阪神・淡路大震災の時に私が感じたことは、作られた年代もあるけれど、一応みんな建築基準法に則って造られたであろう建物が、メチャクチャに壊れていたり、大丈夫だったりしているのを見て、やっぱり建築基準法をベースにして設計していてはいけないのだろうなということを、いちばん感じました。自分なりの原理原則というか、安全に対する考え方を持たないとダメだなと思いました。
和田
作られた年代とか、エンジニアのレベル、施工現場の人の問題とか、いろいろあるだろうと思いますが、土木工学の龍岡文夫先生と先日、仙台へ行ったのです。その際に、農業に使うタメ池がいくつか壊れて、その水に流されて亡くなった人がおられた。これは戦前に作り始めて、まだ完成しない間に戦争になってしまい、戦後また作り続けたのだけれど、ここで働いたのは子どもと女性たちだから、締め固めもよくないし、砂を使ってはいけないのに使っていたらしい。
戦後にでき上がって、今まで使っていたのだけれど、途中にそういう時代を経ているから構造的に弱かった。建築物もいつ頃造ったどのような建物か、誰が設計したか、誰が作ったか、ということで、やっぱり、壊れたり壊れなかったりするのでしょう。

動力学を取り巻く環境

関戸
スターツとしては技術者をもっと、新卒も中途の人も採用したいと思っています。「免震」のことを学んでいる学生や技術者に出会いたいのです。
可児
日本で建築系の大学は全国で100ぐらいあります。その中で、動力学を教えているところは20以下。そうすると、ほとんど動力学に触れる機会がない。一般にエンジニアの人は会社に入ってから先輩から教えてもらうか、自分で勉強して覚えるしかないのです。動力学を習得してきた人と、そうでない人では、どうしても差が出ますよね。
関戸
人生の出発点で違う。もう、意匠と構造の違いぐらいありますか?
可児
そのぐらい違いますね。動力学というのは、やってないと理解できないのです。
関戸
免震構造協会は、まさに技術者の育成部分を担われていることが多いと思いますが、もっと動的な解析ができる技術者を増やしていくことに関しては、どのようにお考えですか?
可児
動力学は、本当は力学の基本みたいなところではないかと、私は思うのです。 確かに、静力学から入っていくのは楽かもしれないけれども、実は、時間軸が全部ついているのが世の中ですから、理念から変えていかなくてはいけないと思っています。
例えば、機械とか電気の人というのは、最初から動力学なのです。すべて時間軸で動いていますから、その中でやっているわけです。 だけど、建築学はどこでどうなったかしれませんが、さっき和田先生がおっしゃった、「震度0.1でやっておけばいいよ」というところに来てしまう。そこで、単純に終わってしまうのです。 だから、そこから考え直さなければいけない。カリキュラム全体から見直さなければいけないのかなという気がしています。機械の人や電気の人もやっていて、どうして建築へ来ると突然静力学になるのか、不思議なのです。
関戸
いろいろな制度が、そうさせてしまっているのでしょうね。英会話と同じように、物心ついたら感覚的に……。
可児
本当は、高校ぐらいからやっておいた方がいいのだろうけれど、そこまではちょっとないかなという感じですね。
関戸
その動力学を教えることのできる大学の先生というのは?
可児
増えていると思います。協会の第二種正会員は大学の先生が多いのですが、10年前には約100人でしたが、今は倍の200人ぐらい。それだけ、免震への関心は高いですね。
関戸
免震技術者も、まだまだそれほど多くはないです、それでもスターツには免震設計経験者が10人ほどいます。もちろん、若手への免震技術の教育も行っています。
可児
それは、いいことですね。これから増やしていかないといけない。ただ、私はよくわからないのですが、動力学の概念の理解度というのは、その人の持って生まれたものがあるような気がします。
関戸
そういう話は、よく聞きますよね。発想力というのか……。勉強すればできるようになる、というものではないということですね。
可児
そうです。だから、それは困ったなと思って。なぜできないかと聞いてみると、まず恐さが先に来るらしいのです。免震をやるという怖さがある。
関戸
動くということが恐い!?
可児
そうです。自分は今まで止まった世界にいたわけですから、そこに動きを入れるということが、もう自分の中でできない。だから、もう少しチュートリアルなところを変えないといけないのかなと思ったりします。
日本で建築系の大学は全部で100ぐらい。その中で、動力学を教えているところは20以下。ほとんど動力学に触れる機会がない。 可児長英

都市の防災

防災対策のこれから

酒井
次に、防災対策の今後の在り方というか、今回の震災を受けて、どうレベルアップしていくかというお話に移りたいと思います。世の中の動きとしては、ビッグデータというのが今話題になっていますけれども、たとえば今日お話に出たような、地震計や変位計のデータを蓄積していくことによって、今までなかったような防災対策が今後生まれてくる可能性があるのかどうかですね。あとは、そういった建築物のデータだけではなく、他の防災面のデータと組み合わせることによって、また違った方法が生まれてくる可能性もありそうな気がしますけれども、そのあたりはいかがでしょう?
纐纈
予測は難しいので、起こってすぐその情報を伝えるいわゆるリアルタイム情報の重要性は高まっていると思います。地震の分野でのビッグデータ利用という面では、起こった直後の活用ですね。例えば、カーナビのGPS情報で、どこの道が通れる、通れないというのを即時に出すとか……。それは、何か賞を獲ったはずです。そういう利用法はあると思いますが、予測のためにそういうデータを利用するのはやはり非常に難しい。 巨大地震は何百年に1回か、何千年に1回しか起こらないわけですから、どんなにビッグデータでも、それを予測の面で生かすことは、残念ながら難しいのではないかと思います。
和田
東日本大震災の少し前に東北地方で地震があって、「今度はデカイぞ!」などというのも言えないわけですね。
纐纈
2日前にマグニチュード7クラスの、今振り返ってみれば前震が起こっていました。でも、当時はマグニチュード9というのは、あの地域では起こらないと思っていました。だから、あくまでも普通のマグニチュード7クラスの地震が起こったと思った。しかも、1978(昭和53)年の宮城県沖地震よりもさらに沖合だったので、ほとんど被害はなく、そういうものだって、みんな思い込んでいたのですね。今にして思えば非常に残念だし、忸怩(じくじ)たる思いはあります。
和田
難しいですね。「次は明日だ!」と、纐纈先生が声高に言ったところで、それは10年後かもしれない。2日後に来るなどと予測するのは難しいことだと思います。防災という観点で言うと、例えば今の自動車の安全を例に取ると、車を壁にぶつけても、エンジンのシャフトが折れて、エンジンが落っこちて、それからボンネットがクシャクシャってなって、エアバッグが広がって、車は使えなくなるが、中にいる人は助かるようにできている。あとは保険金を使って新しい車を買えれば、事故でもその人はどうにかなるというのが、今の車のデザインの考え方ですね。では、建築ではどうかというと、普通の建築基準法の免震ではない建物は、何百年に1回の地震が来ると、構造物はヒビだらけになって傾くけれど、中にいる人は助かるということになっています。
関戸
自動車は使えなくなるけれど、命は助けるというのとまったく同じ発想ですね。
和田
そうです。このマンションの1室を買う人、車を1台買う人、建物を設計している人、クルマを設計している人、みんな同じなのですけれど、ひとつだけ違うのは、東京みたいに無数の建築の建っている大都市で大きな地震が来ると、この考え方で建物が作られた場合、東京中の車がいっぺんに壁にぶつかったのと同じようになってしまうのです。東京中の建物がみんな、ヒビだらけになって傾いてしまう。だから、みんな命は助かったけれど、次の日から何百万人も、何千万人もが生活できなくなるという意味で、私は、今の方法は間違っていると思います。もっと免震とか制振などを取り入れていくべきです。
関戸
可能な限り、よいものを混ぜていく必要があると……。
東日本大震災を受けて、防災対策の今後の在り方はどうあるべきか。また、どうレベルアップしていくべきか 酒井和成

国の基準の是非を考える

和田
それでも、もっと大きな地震が来たらわかりませんが、今の国の考え方は、500年に一度クラスの地震が来たら建物は使えなくなってもいいという、それは個人の財産だから、作って壊すまでの間、その方が生きている間に来ないかもしれない地震が襲っても続けて使えるようにと国が建築を建てようとする個人や企業に強制するのは、財産権を侵害しているという憲法解釈になる。倒れなければ、傾いてもいいというところまでしか、国は強要できないということです。
だけど、それでは本当に大きな地震が来たときに、東京の日々の活動はこの災害を乗り越えられない。住む家も、病院も、勤めている会社も、みんな傾いたらダメだと思っています。いくら情報技術が発達しても、帰って寝る家がなかったら、物理的にはアウトです。
中西
東日本大震災発生時の東京では、津波被害こそありませんでしたが、旧耐震建築物でもタイルなど外装材の落下や構造体の大きなクラックは、数多く報告されています。私たちもお客様に、耐震建物の大地震後の状態を説明するのには、たいへん苦労しています。
和田先生のおっしゃる通り、傾きが残るというだけではなかなか理解してもらえないので、過去の被害状況の写真と合わせて説明しています。耐震構造の建物も設計している立場としては、耐震が免震に劣る点ばかり強調するより、免震のよさをアピールしていきたいのですが、耐震構造が、どのように設計されているか、「震度6・7クラスでは、人命保護が設計方針である」という点が、お客様にはなかなか理解されにくいですね。
可児
たぶん、私たちがいま設定している建物というのは、英語的な単語で言うと「during earthquake」、地震が起こっている時にどうあるべきかという設計をしているものが多いと思います。だけど、今の和田先生のお話されたように「after earthquake」、要は地震の揺れが収まったあとどうするのかっていう時に、そこまで考えていないと単なる耐震だけで、生活に窮する状態ができてしまうわけです。
だから、「during」じゃなくて、「after earthquake」をどうするのかというところまでもっていかないと、事業継続の問題として考えないといけないということになりますね。とにかく瞬時の防災対策ではないのです。今後はアフターの感覚を持つ設計が必要だと思っています。だから、防災の範囲も、もっと先行きを見た防災にしていかないといけないと思っています。
関戸
先行きを見た防災ですね。
可児
2050年ぐらいになると、建物はみんな、何らかの制御がかかった建物になるのではないかと思っています。全部をレスポンスコントロールしているような建物の時代が来るのかなと。だから、免震とか制振はもう当たり前で、何かやってないと、「あっ、何もやってないのですか?」って言われるような、そういう時代になるのではないかと思っています。その第一歩が「免震」という制御技術。
しかし、これはまだあくまでもパッシブなもの。これにちょっと動的なものを入れて、アクティブにしていくと、相当違う建物が今後できるような気がします。そうしたアクティブ制御をやっていく時代が、2050年ぐらいだと来るかなという感じがします。免震技術、あるいは制振技術ですが、可能性はとどまるところを知らなくて、まだ始まったばかりという感じです。
和田
東北の津波のあとの瓦礫を片づけるのに、地震が起こった年の夏には約1兆円かかると言われて、最近、実際にやっている現場の見学にも行って確認しましたが、実際は数千億円らしいのですけれど、それはみんな国のお金ですよね。
だけど、もし東京の建物が傾いて、賃貸マンションだったら、住人はみんな引っ越していなくなってしまいますよね。そうすると、傾いた建物だけが残っていて、オーナーが破産してしまったら、この傾いた建物は誰かが壊さないといけなくなる。津波の瓦礫を片づけるのが国家予算なら、傾いている建物も国家予算だとすると、片づけるだけで莫大な金額が必要になります。
今度の地震でも、木造住宅が倒壊したりしたのは、みんな国のお金か県のお金で修理したのでしょうけれど、モラルハザードというのでしょうか、ちゃんとしたものを造らなくても、命からがら逃げられさえすれば、あとは国が片づけてくれるというのは、よくないと思います。先ほどお話にあった工場みたいな場合だと、自分の会社の経営に関係するから真面目になると思うのですけれど、何でも国が助けるというのは、逆に本人の「もっとしっかりしよう」、「もっと考えよう」という意欲をなくしてしまうのではないかと危惧しています。
関戸
免震の話は、深く考えていくと、今、和田先生が言われたような人生観や、生き方につながっていきます。とても大切なことだと思いますし、継続して考えることだと思います。本日は長時間にわたり、貴重なお話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。先生方のお話を伺いながら、「いつ起こるかわからない」、しかし「いつ起こってもおかしくない」大地震に備え、安心・安全な住まいを建て続けることこそ、私たちの使命であることに対して、さらに意を強くしました。このような機会をぜひ、また持たせていただきたいと思います。
耐震構造の建物も設計している立場としては耐震が免震に劣る点ばかり強調するより免震のよさをアピールしていきたい 中西 力
  • 本文および図表中の数字は、全て2013年8月当時のものです。